Sweet glow 5
リョーマの漕ぐ自転車は滑るように道を走って行った。
「結構、飛ばすね。」
ぐんぐんスピードを上げていく自転車にやっとの事でバランスを取りながら不二は苦笑した。
「降る前に少しでも距離稼いどこうと思って。」
息も切らさずに答えるリョーマに不二は笑っておどけたような声で告げる。
「運転手さん、安全運転でお願いします。」
「はーい。」
てっきり無言で返されると思った自分の冗談に、これもおどけた様子で返事を返した彼にちょっと目を見開くと、不二はくすくす笑う。
「・・・でも少し間に合わないかもしれないね。」
ぽつりぽつりと零れてきた雨に不二は空を見上げた。
自分の家まではまだ少し距離がある。それまでもつかな・・・そう考えながら自転車をこぐ背を見つめる。
「いいよ、この辺で。」
その背中はまだまだ小さく、そんな彼に自転車を漕がせているのが何だか悪くなり、不二は言った。
しかし彼からの返事はなく、いっそう漕ぐ力が強まる。
“意地っ張り”
不二は苦笑してその頼もしい背中を見つめる・・・。
不二の危惧どおり雨はやがてその粒を大きくし始めた。
「ああ、降ってきちゃったね。」
「・・・っすね。」
ため息をついて、少し自転車を漕ぐ速度を緩めた彼に不二は話し掛ける。
「このままいくかと思ったからちょっと安心した。」
「何でですか?」
「実は・・・ちょっと腰にきてる。」
「年?」
「運転が乱暴だから!」
くすくすと彼が笑っている。それにつられるようにこちらも笑う。
訳もなく楽しかった。
いつまでもこんな時間が続くといい。
しかしそんな不二の脳裏に先ほどの手塚の言葉が蘇る。
“それを知らなければ先には進めないのは事実だ”
どうせ知るなら早い方がいい。この感情がどうしようもならなくなるところまで行く前に・・・
「ね、越前、聞いてもいい?」
努めてゆっくりと冷静に不二は言葉を切り出した。
「何すか?」
「さっきクラブハウスで僕に何か言いかけなかった?」
僅かにリョーマの背中が揺らいだ気がしたが、不二はそのまま言葉を続ける。
「一体なんだったの?」
「・・・聞きたい事があったんっす。」
いつになく彼が口ごもりつつ言う。まるで何かためらっているように。
やっぱり、このコは気付いているんだ。
それで自分をこうして誘ったのだろうか? そう思った不二の背中がすうっと冷たくなる。
でももう後に引く事はできない。不二はともすればぎこちなくなる声を必死に奮い立たせる。
「で、何?」
・・・と、向こうから来た対向車のトラックのライトが眩しく二人を照らした。
その道は折りしも坂道で、そのライトに目が眩んだ彼はハンドルを取られたらしく、車体がぐらぐらと激しく揺れた。
慌ててブレーキをかけるが、それがいけなかったらしく、そのままタイヤがロックしてあっという間に滑っていき、ぐんぐん目の前の電信柱が近づいてきた。
「やべ!飛び降りて!」
「え?」
「早く!」
・・・叫んだ彼の言葉に、自転車から身体を滑らす事が出来たのは、ひとえに鍛えられた反射神経のおかげだったろう。しかし格好よい着地とは言えず道路にしたたか尻もちをつく。
彼の身体も自転車からころがるように離れ、自分と同じように地面に尻もちをつくのが見える。
運転手を失った無人の自転車は加速を増し、やがて電信柱にいやというほど衝突した。
「・・・げ」
「・・・あ」
横倒しになった自転車が水溜りに突っ込み、そのペダルがからからと空回りしている。
まるで映画のワンシーンのような光景を呆然と見ていた彼が慌てたようにこちらを振り返った。
「先輩、大丈夫っすか?」
「・・・何とか生きてるみたいだけど。」
したたかに打った腰をさすり、顔をしかめながら彼を見る。
「ひどい安全運転だね?」
ぽかんとしたような彼の顔、そのひどくあどけない様に不二は思わず吹き出した。
どうしてこうタイミングが悪いのだろう。人が深刻な話をしようって時に・・・でも・・・
先ほどの緊張感の反動か、吹き出し笑いがいつの間にか大声の笑いになり、道路にしりもちをついたまま降ってくる雨に濡れるに任せ、不二はそれこそ身を捩って笑った。
「ひどいっすよ、そんなに笑わなくても。」
最初はふくれっ面で自分を見ていた彼だったがやがて自分につられたかのように笑い出す。
「先輩、ひどいカッコっすよ?」
「キミだって!」
全身ぬれねずみで、道路にしりもちをついたままお互いの格好を見て、しばし2人は笑い転げる・・・
「あーあ、自転車めちゃくちゃ。」
先に立ち上がった彼が水溜りから自分の自転車を引っ張り上げながらため息をついている。
その籠はみごとにひしゃげ、ハンドルも曲がってしまっている。
「・・・傘もいかれたっす。」
自転車の脇にさしてあった傘もひどく折れ曲がっており、それも不二の笑いを誘う。
「何だかひどいことになったね。」
「・・・全くっす。」
リョーマが肩をすくめると、ちょっと笑って不二を見る。
「先輩のせいっすからね。」
「え?」
「だってそうでしょ?先輩が天気予報を見て、傘を持ってきてたらこういう事にはならなかったっすよ?」
「誘ったのはキミだろ?」
不二が濡れた髪をかきあげながらリョーマを軽く睨む。
「風邪引いたらキミのせいだからね?」
「・・・それはオレが言いたいっす。」
リョーマは自転車を脇に寄せて、座り込んだままの不二に手を伸ばす。
「じゃあ、何で僕に声かけたの?わざわざ濡れるようなもんじゃない?」
伸ばされた手に何気なく手を預け、なおもくすくす笑いながら不二は彼を見上げる。
「ね、どうして?」
「・・・・・」
「越前?」
・・・彼の顔から笑顔がかき消すように消えていた。代わってじっと真剣に自分の顔を見つめている。
その彼の様子にふっと不二の表情も改まる。
「僕に何か聞きたいって言ってたよね?」
不二はリョーマを見上げながら先刻途切れた質問を重ねる。
「越前、キミは・・・」
「・・・やっぱ、覚えてないっすよね?」
「え?」
いきなり言葉を遮られ、彼の手のひらの中にある自分の手がぎゅっと握られる。
「たぶん・・・オレだけっすよね、こんなの・・・でも・・・」
そう言って自分を見つめた瞳の色に不二ははっとする。
「越・・・前?」
彼は身体をかがめ、不二の肩を掴んで自分の方へと引き寄せた。
そのまま彼の胸に顔を押し付けられて、不二は身体を固くする。
・・・うるさいくらいに自分の心臓の鼓動が耳に響く。それがどんどん音を早くしていく。
その息苦しさに耐え切れなくなって不二は軽く喘ぎながら彼の胸から顔を上げた。
「えち・・・ぜ・・・」
その瞳が自分の目を見据えていた。それこそ射ぬくように。
その光から逃れるように不二が目をつむる。
・・・気付くと彼の唇が自分の唇に重なっていた。
その冷えた唇は少し震えていて、切ない雨の香りがした・・・